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沖縄の伝統芸能・組踊~組踊の歴史編~

執筆者 : きゅう

この記事では、沖縄の伝統芸能・組踊(くみおどり・くみうどぅい)の歴史についてお伝えします。

ココがポイント

初演から300年の歴史を持ち、国の重要無形文化財、ユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも登録されている組踊。浦添市にある国立劇場おきなわでは日本語字幕付の定期公演や初心者のための解説付プログラムも上演され、日本の伝統芸能としては破格の2000~3000円ほどで鑑賞することができます。

創始者である玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の作品がとても有名ですが、それ以降も、多くの作品が生み出されています。また、琉球王府の国策として制作・上演されていた舞台芸術でありながら、沖縄本島から八重山地方まで様々な演目が伝わり、地域のお祭りの中で上演し続けている場所も多く残っているというちょっと不思議な面も持っているのです。

[st-kaiwa-27874]第二次世界大戦終戦の年に石川市(現うるま市)で上演された組踊は、多くの方の心を慰めたと伝えられています。[/st-kaiwa-27874]

玉城朝薫以降の作品や戦前戦後の状況、地域への広がりにも目を向けながら、組踊の歴史をまとめてみたいと思います。目次のタイトルから読みたい箇所へ飛んでいただくことも可能です。

組踊の歴史

組踊のはじまり

玉城朝薫

組踊は台詞、音楽、所作、舞踊によって構成され、琉球舞踊や琉球古典音楽を盛り込んだ歌舞劇のこと。

中国からの使者である冊封使(さくほうし・さっぽうし)をもてなすため、琉球王府の命を受けた踊奉行(おどりぶぎょう/国王・王妃・王子の法要や組踊を含む冊封宴の芸能を指導・統括する臨時職)玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)によって生み出されました。

メモ

1719年、尚敬王(しょうけいおう)の冊封儀礼のために訪れた中国使節を歓待する宴において初演されています。

玉城朝薫は薩摩に5回、江戸に2回琉球王府の使節として訪れており、能・狂言などの大和芸能を観劇しました。そういった日本の伝統芸能の様式や中国伝統劇などの影響を受けたとされ、中国や日本の故事、琉球民話も反映した内容になっています。

彼の創作した「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」「二童敵討(にどうてきうち)」「銘苅子(めかるしい)」「女物狂(おんなものぐるい)」「孝行之巻(こうこうのまき)」は組踊の傑作「朝薫五番」として受け継がれ、後に生まれた様々な作品に影響を与えています。

冊封使とは

冊封は、周辺諸国の王が中国皇帝に貢物を捧げ、中国皇帝にその国の王であると認めてもらう儀式。冊封使はそれを行うための使節団で、琉球国王の代替わりのたびに儀式が必要でした。
大半を風に頼った航海しかできなかった当時、季節風を待つために使節団の滞在は半年から1年にわたったということです。彼らを歓待する宴は滞在中7回行われるのが通例で、宴の中で複数回組踊が上演されていました。

玉城朝薫以外の作者たち

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初演となった1719年の後、1759年、1808年、1838年、1866年の冊封でも組踊が上演された記録が残っています。上演は新作に限らず、玉城朝薫の演目も多く再演されていたようです。そのほか、薩摩藩の役人をもてなす席や、琉球国王・王妃の御前で上演された記録なども残っています。

玉城朝薫以外の作者によって、琉球王国時代に制作されたと考えられる組踊の演目は70番ほど。しかし、琉球王国時代の組踊作者の名前とその作品が伝えられているのは6人の10番のみ(諸説あり)です。

  1. 田里朝直(たさとちょうちょく)
    作品:「万歳敵討(まんざいてきうち)」「大城崩(おおぐすくくずれ)」「義臣物語(ぎしんものがたり)」「北山崩(ほくざんくずれ)」「月の豊多(つきのとよた)」

    朝直三番「万歳敵討(まんざいてきうち)」「大城崩(おおぐすくくずれ)」「義臣物語(ぎしんものがたり)」は朝直三番と称される傑作。玉城朝薫の朝薫五番と同様に親しまれています。
  2. 久手堅親雲上(くでけんぺーちん/親雲上は琉球士族の称号のひとつ)
    作品:「大川敵討(おおかわてきうち)」
  3. 辺土名親雲上(へんとなぺーちん)
    作品:「忠臣身替之巻(ちゅうしんみがわりのまき」
  4. 徳嶺親雲上(とくみねぺーちん)
    作品:「束辺名夜討(つかへんなようち)」
  5. 高宮城親雲上(たかみやぐすくぺーちん)
    作品:「花売の縁(はなうりのえん)」
  6. 平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)
    作品:「手水の縁(てみずのえん)」

どうして作者不明の組踊が多いの?

能は観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)、浄瑠璃(じょうるり)と歌舞伎(かぶき)では近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)といった作者が作品とともに名を馳せていますが、組踊を作っていたのは作家として生計を立てている個人ではなく、琉球王国の役人、現在で言えば国家公務員でした。組踊の著作権は国にあり、誰が作ったのかということは特に重視されなかったのです。

琉球処分で上演の場が沖縄全土へ

1879年、琉球処分(廃藩置県)により、琉球王国は終焉を迎えます。冊封も1866年が最後となり、国家事業として行われてきた組踊は上演の場を失ってしまうことになりました。芸能を担っていた士族たちは職を失い、生計を立てるために組踊を一般の人々に向けて上演するようになっていきます。代わりに生まれたのが現在でも盛んな雑踊り(ぞうおどり)や沖縄芝居といった、普段の暮らしを題材にしたテンポのよい芸能です。

地域芸能の顔も持つ組踊

組踊には、王府芸能としての側面のほかに、沖縄本島全域から八重山諸島まで、様々な地域の豊年祭(ほうねんさい/五穀豊穣や子孫繁栄の感謝・祈願のための祭り)などで上演される地域芸能としての顔も。

国の重要無形民俗文化財に指定されている「多良間の豊年祭」で行われる組踊など、一部では地方での創作もみられますが、大半は琉球王府で作られた演目が台本ごと伝わったと考えられているようです。

台本を書き写す段階か、もととなった台本の違いによるものか、同じ内容でも様々なバリエーションがあるのも組踊の特徴。同じ内容でも題名が違ったり、細かな設定が異なっていたり、登場人物の関係性が変わっていたりしています。

現在確認されている最も古いものは、1818年と記された写本。廃藩置県の約60年前のものです。村の役人に読み書きを教えるための学校の先生たち(士族出身)が運んだものかもしれないと考えられています。

戦争の足音と東京公演

商業演劇として各地で行われた組踊ですが、1890年頃からは映画などの新しい娯楽に押され、上演は減っていってしまいます。1904年の日露戦争の時期から軍国主義の影響も徐々に受けました。

まずは新聞広告欄などから琉球芸能関連の広告が消え、大正に入る1912年頃からは男女の恋を扱った「手水の縁」が風紀を乱すと上演禁止に。第二次世界大戦へと向かう昭和の時代には、戦意高揚のための芸能公演のみが行われるようになっていきます。

1936年には沖縄の古典芸能の継承を危惧した民俗学者・折口信夫(おりくちしのぶ)の働きかけにより東京で「琉球古典芸能大会」が開催されますが、組踊の上演機会はほぼなくなっていってしまいました。

1936年東京公演「琉球古典芸能大会」

1936年(昭和11年)に東京で行われた公演で上演された組踊は、「執心鐘入」「花売の縁」「二童敵討」「銘苅子」の4演目。大好評を博し、組踊を含め琉球芸能が沖縄県内外に広く知られ、親しまれるきっかけとなりました。

東京公演に関するエピソードは今なお語り継がれ、出演したこと自体が名誉とされる伝説的なものとなっています。挿絵画家・片山春帆(かたやましゅんぱん)による詳細なスケッチなど、カラー写真や映像のなかった時代に貴重な資料も残されました。

終戦の1945年、クリスマスに上演された組踊

日本唯一の地上戦の舞台となり、地形が変わるほどの爆撃を受け、20万人以上が犠牲になった沖縄。終戦直後、生き延びた組踊の名優たちはウィラード・A・ハンナ少佐(米軍海軍軍政府教育担当官)に集められ、「民心の安定のために沖縄芸能を1日も早く復興したい」と告げられます。

彼らは大変な暮らしの中にありながらも1945年8月に「沖縄芸能連盟」を発足させ、芸能活動再開の基盤を整えていきました。そして1945年12月、沖縄本島中部の石川市(現うるま市)の城前(しろまえ)小学校で琉球芸能を披露。何もかもが不足した仮設舞台で、衣装や小道具などもけっして充分とはいえませんでしたが、5000人以上と言われる観客が詰めかけたそうです。

中でも、家族の絆がテーマの組踊「花売の縁」は観客を魅了し、自らの境遇に重ね合わせて涙する人も多かったと伝えられています。米兵たちもハンナ少佐らの解説を通じて鑑賞し、沖縄の文化を学んだそうです。

琉球政府の文化財から日本と世界の文化財へ

1967年には「朝薫五番」が琉球政府指定の重要無形文化財となりました。1972年の本土復帰とともに、組踊は国の重要無形文化財に指定されます。保存継承への取り組みが活発になり、2004年には国立劇場おきなわが開場、組踊研修制度も発足しました。沖縄県立芸術大学にも琉球舞踊組踊専修が設置(1990年開設の楽劇専修から改称)され、若手の育成を含め、保存・普及活動が本格化します。

2010年にはユネスコ無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも正式登録され、世界的にもその価値を認められつつあります。

組踊と女性の立方(たちかた/演者)

琉球王国時代から男性のみで演じられてきた組踊の世界に、初めて女性の立方(演者)・上里マヅルが登場したのは1919年。しかし、「遊女のようだ」と批判を浴び、わずか3カ月で退座に追い込まれてしまいました。

終戦後は、生活を支える柱として働かねばならなかった男性たちに代わり、女性たちも芸能の担い手となります。戦後の混乱期、琉球古典芸能を現在に伝える大きな役割を果たしたのは女性たちでした。

しかし、本土復帰とともに国の重要無形文化財に指定された際、琉球王朝時代に男性のみで演じられていた歴史的経緯から、男性が女性の役も演じるという要件が加えられました。保存・普及活動が活発になった一方で、組踊にかかわる女性を大きく減らす事態を招いてしまいます。その後、2004年に沖縄県立芸術大学に琉球舞踊組踊専修が設置され、女性にも広く門戸が開かれました。現在では女性の立方も増加しつつありますが、舞台に立つ機会は男性に比べると少ないのが現状です。

坂東玉三郎主演の組踊など、継承のための新たな取り組みも

聞得大君誕生

写真提供:国立劇場おきなわ

2013年、組踊はある公演で全国の注目を集めました。

その公演は、国立劇場おきなわと東京国立劇場が共同制作し、歌舞伎女形の人間国宝・坂東玉三郎が主演を務める新作組踊「聞得大君誕生(ちふぃじんたんじょう)」。東京と沖縄で3日間ずつ行われた公演のチケットは発売直後にすべて完売となり、大好評を博します。

この脚本を手掛けたのは、1986年、「カクテルパーティー」で沖縄初の芥川賞受賞作家となった大城立裕(おおしろたつひろ)。朝薫五番にちなんで書き下ろした「海の天境(うみぬてぃんざかい)」「真珠道(まだまみち)」「山原船(やんばるせん)」「花の幻(はなのまぼろし)」「遁ぎれ(ひんぎれ/逃げろ)、結婚(ニービチ)」の新作5番をはじめ、20を超える作品を生み出し続けています。

また、国立劇場おきなわは、日本語字幕や多言語対応のオーディオガイドに加え、これまで組踊に触れたことのない方も気軽に楽しめるような「普及公演」も定期的に開催。解説や「組踊版シンデレラ」など工夫を凝らしたプログラムで裾野を広げようとしています。伝統の組踊と、現代の視点から描かれる新作組踊。わかりやすく楽しみ方を伝える工夫。組踊を次代へ継承していくための様々な取り組みが行われているのです。

組踊上演300周年記念事業

2019年は組踊が初演されてから300年の節目の年。沖縄県文化観光スポーツ振興課内に実行委員会が置かれ、沖縄県内外で様々な事業を展開、広く組踊をPRする1年となりました。

主な組踊上演300周年記念事業

  • 首里城公園記念展覧会「THE KUMIODORI」
  • 沖縄県立博物館・美術館記念展示「朝薫踊り、順則詩う」
  • 県内巡回公演(宮古島市・名護市・石垣市)
  • 県外巡回公演「琉球芸能の美と心」(福岡市・大分市・島根県松江市・新潟市・東京都豊島区・長野県松本市・兵庫県西宮市)全国七都市ツアー公演
  • 記念首里城公演・式典「琉球舞踊と組踊」(首里城御庭特設舞台)※首里城火災により中止
  • 記念能楽公演(国立劇場おきなわ)羽衣・放下僧など組踊に影響を与えたとされる演目を中心に上演

「琉球舞踊と組踊」は、首里城正殿の御庭(うなー)で当時の姿を再現して行われる予定でした。しかし、2019年10月31日未明に起きた首里城火災のために中止となってしまいます。代替公演として、組踊上演300周年記念・首里城復興祈念公演「琉球舞踊と組踊」が行われたのは、2020年2月15日。

[st-kaiwa-27874]首里杜館前の芝生広場で組踊の継承と首里城の復興、ふたつの願いを込めて演じられたのは、1719年の初演の演目である「執心鐘入」と「二童敵討」でした。[/st-kaiwa-27874]

琉球舞踊と組踊

組踊上演300周年記念・首里城復興祈念公演「琉球舞踊と組踊」より

客席

会場はほぼ満員となり、多くのファンが舞台を見守りました

まとめ

この記事では、組踊の歴史として以下の内容をお伝えしました。

  • 組踊は琉球古語、琉球舞踊や琉球古典音楽を盛り込んだ歌舞劇で、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)により創作され、1719年に初演
  • 玉城朝薫以降も作品が生み出されているが、琉球王国時代の組踊作者の名前とその作品が2020年現在わかっているのは田里朝直(たさとちょうちょく)ほか6人の10番のみ
  • 琉球王国の国家事業だった組踊は1879年の琉球処分(廃藩置県)により一般の人々に向けて上演されるようになった。離島を含め沖縄県内各地に様々な組踊が伝わり、台本の写しには1818年の記載があるものも存在する
  • 新たな娯楽や戦争に向かう時代の波に押され、組踊の上演機会は1890年頃から減少。保存継承を願い1936年に東京で行われた「琉球古典芸能大会」が好評を博し、語り継がれている
  • 終戦の年、1945年のクリスマスにありあわせの舞台や道具で上演された「花売の縁」は5000人以上と伝わる観客の涙を誘い、戦争で傷ついた心を慰めた
  • 1972年に国の重要無形文化財指定、2010年にはユネスコ無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも正式登録
  • 坂東玉三郎主演、芥川賞作家・大城立裕による新作組踊や国立劇場おきなわの組踊普及へ向けた取り組みなど、次世代への継承のための様々なアプローチが行われている
  • 2019年は組踊が初演されてから300年の節目。沖縄県内外での公演をはじめ様々な事業が展開され、組踊を全国にPRする1年になった

琉球処分や第二次世界大戦といった存続の危機を乗り越えてきた組踊。300年の間、組踊を愛し、次の世代へ残したいと力を尽くしてきた方々がいなければ、あるいは幻の舞台芸術になってしまっていたかもしれません。現在でもそうした取り組みは続けられ、先にも触れたとおり、組踊初心者も気軽に楽しめるよう工夫を凝らした「普及公演」も、国立劇場おきなわで定期的に行われています。

「言葉がわからない」「敷居が高い」と感じて鑑賞をためらっていた方にこそ足を運んでいただきたい初心者向けの「普及公演」。その詳細をはじめ、鑑賞におすすめの演目や定期的に組踊公演が行われる劇場の紹介など、実際に組踊をご覧になる際に役立つ情報をまとめた記事はこちらです。

沖縄の伝統芸能・組踊~組踊の楽しみ方とおすすめの演目編~

記事監修協力:大野順美(一般社団法人ステージサポート沖縄)

参考文献

THE KUMIODORI 300 ~組踊の歴史と拡がり~(2019年 一般財団法人沖縄美ら島財団)
モモトVOL.41 特集 組踊(2019年 編集工房 東洋企画)
国立劇場おきなわ組踊普及書 組踊(平成23年 国立劇場おきなわ)
沖縄県文化財調査報告書第72号 沖縄の組踊(Ⅰ)(昭和61年 沖縄県教育委員会)
沖縄県文化財調査報告書第82号 沖縄の組踊(Ⅱ)(昭和62年 沖縄県教育委員会)
年刊藝能第26号「琉球芸能のいま―平成の組踊の推移を中心に」(2019年 藝能学会)

国立劇場おきなわ 組踊

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きゅう

言葉、文化、自然、習慣、その他諸々にカルチャーショックと感動を経験しつつ沖縄に住むことかれこれ20年超。 すっかりなじんでいますが、一応九州産の移住者です。長く日常を過ごしているからこそ見える沖縄の素敵なもの、おもしろいものをご紹介していけたらと思っています。 大好物はおいしいもの、歴史を感じるもの、旅行、取材。必要に迫られ、大の苦手だった英会話を勉強中です。

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