ひめゆりの塔

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沖縄戦

沖縄戦を知るはじめの一歩・ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館

執筆者 : きゅう

こちらの記事では、「ひめゆり学徒隊」にまつわる施設、ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館についてお伝えします。那覇空港から車で約40分の糸満市(いとまんし)にある施設ですが、実は、那覇市内にも縁が深いのです。

ディープな沖縄らしさあふれるエリアとして人気の栄町(さかえまち)市場一帯は、「ひめゆり学徒隊」として動員される前まで女学生たちが通ったふたつの学校が建っていた場所。

沖縄の交通の大動脈のひとつである国道330号線も戦前は女学生たちの通学路でした。ゆいレール安里駅付近の「姫百合橋(ひめゆりばし)交差点」、与儀(よぎ)十字路から姫百合橋交差点までの通称「ひめゆり通り」などに、彼女たちの学校にちなんだ名前が残っています。那覇空港から壺屋(つぼや)や新都心方面に向かうルートにもあたるので、通ったことのある方もおられるかもしれません。

  • 「戦争の恐ろしい場面を見て、悲しく辛い気持になりたくない」
  • 「重苦しい雰囲気を味わいたくない」
  • 「子どもがショックを受けてしまうかもしれない」

そんな理由でひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館にまだ足を運んだことがないならば、ぜひ、この記事を読み進めていただきたいと思います。

第二次世界大戦の終結から2020年で75年。沖縄が凄惨な地上戦の舞台になったことは、あなたもご存知だと思います。激戦地となった糸満市を中心に、平和祈念公園や鎮魂のための塔、戦時中に住民たちが避難していた壕(ごう/ガマ)や日本軍の司令部壕、病院壕なども残されていますが、そこへ訪れる人の数は年々少なくなっているのが実情です。

直接戦争や沖縄戦を体験した世代が少なくなっていく中、次の世代へどう戦争の恐ろしさと平和の大切さを伝えていくのか。ひめゆり平和祈念資料館は、約20年前からその問題にしっかりと向き合い、取り組みを進めてきました。

戦争を知らない世代、戦争を知らない世代を親に持つ子どもたちへ向けて発信を続けてきた資料館は、沖縄戦を知るはじめの一歩としてもおすすめしたい場所です。

「ここへ来てよかった」「人生が変わった」という感想も寄せられるその展示内容を、実際の写真とともにお伝えします。

また、開館30年を迎えての新たなリニューアルについてもまとめました。目次をクリックしていただければその項目の内容が表示されますので、読みたい部分にサクッと目を通していただくことも可能です。

どんなところ?

ひめゆりの塔

慰霊塔

沖縄戦で命を落とした沖縄師範学校女子部(女師)と沖縄県立第一高等女学校(一高女)の教師と生徒たちの慰霊塔。看護要員として陸軍病院に動員された「ひめゆり学徒隊」240名(教師18名・生徒222名)のうちの死者136名(教師13名・生徒123名)と動員外の死者91名(教師3名・生徒88名)を合わせた227名の名前が刻まれています。

中央に口を開けているのは、深さ14m、幅16m、奥行き12mの沖縄陸軍病院第三外科壕跡。伊原(いはら)第三外科壕とも呼ばれます。約100名(うちひめゆり学徒隊51名)が身を潜めていましたが、1945年6月19日のガス弾攻撃で80名以上(うちひめゆり学徒隊42名)が亡くなりました。この壕から生還したひめゆり学徒隊は、生徒5名のみです。

なぜ「ひめゆり」と呼ぶの?

沖縄師範学校女子部(女師)と沖縄県立第一高等女学校(一高女)の愛称です。

同名の花とは関係がなく、両校が併置校としてキャンパスや教員の共用をはじめた際に生まれた校友会誌「姫百合(ひめゆり)」(併置前は別々だった女師の校友会誌「白百合」と一高女の「おとひめ」が合体)に由来しています。

「ひめゆり」とひらがな表記するようになったのは戦後のことで、戦前は漢字表記でした。

ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆり平和祈念資料館

1989年6月23日開館。亡き学友の慰霊と平和への願いを発信する場として、ひめゆり同窓生たちが設立し、元ひめゆり学徒が運営してきた資料館。

ひめゆり学徒隊の体験した沖縄戦を、実物・写真資料や証言映像、遺影などの展示を通して伝えています。元ひめゆり学徒は展示室や講和で戦争体験を語り継ぐ「証言員(しょうげんいん)」としても活動。国や県などの公的資金は受けず独立運営を続けており、2019年の入館者数は49万1345名(無料入館者3万1543名は含まず)です。設立からの総入館者数は2321万5592名にのぼります。

ひめゆり平和祈念資料館の理念

  • 「積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れない」
  • 「体験した戦争の恐ろしさを語り継ぐ」
  • 「平和であることの大切さを訴え続ける」
  • 「亡くなった学友・教師の鎮魂」
  • 「平和への思いを未来へつないでいく」

ひめゆり平和祈念資料館の展示案内

資料館の入口は、在りし日の校舎を模して造られ(栄町公設市場一帯にあった校舎は戦火で失われています)、向かって右手には校門まで並木道をなしていた相思樹(そうしじゅ)も植えられています。

第1~第6までの展示室を順にご紹介します。

第1展示室 ひめゆりの青春

第1展示室

当時の写真や時代背景とともに語られる、平和な学園生活から240名が動員されるまでの様子。近所の写真館で友人どうし撮影をしたり、英語を学んだり、琴や弓道、バスケットボールなどの部活動もあった毎日はとても生き生きと具体的です。

大人たちは自分の学生だった頃を、子どもたちは自分たちの今の生活と自然に重ね合わせて考えられる内容になっています。

鉄橋を走る軽便鉄道(けいべんてつどう/戦前の沖縄に走っていた小型の鉄道)を背景に撮影された写真は、現在の那覇市安里の「姫百合橋(ひめゆりばし)交差点」付近。鉄橋も鉄道も、戦争の中で失われてしまいました。

注目の展示「制服の変化」

女の子たちの憧れだったセーラー服とプリーツスカートの制服が「へちま襟(タキシードのような形の襟)」と4枚はぎスカートへ、さらに着物のように打ち合わせた「標準服」ともんぺ(腰回りがゆったりとした作業用のズボン)へ。

戦争に向かい様変わりしていく時代の中、写真の学生たちの表情も徐々に明るさを失っていくように見えます。

第2展示室 ひめゆりの戦場

第2展示室

南風原町(はえばるちょう)に作られた陸軍病院壕(丘の斜面に横穴を掘り、木製の2段ベッドを備え付けた壕)に看護要員として配置されたひめゆり学徒たち。この空間には、傷病兵の病院壕を再現したジオラマや発掘された医療器具、学徒たちの持ちものなどが展示されています。

学徒たちが想像していた、赤十字が掲げられ、安全が確保された病院とはあまりにもかけ離れた病院壕。苦しみの声や怒鳴り声、悪臭が充満する蒸し暑い壕の中で、負傷兵の看護や身の回りの世話が始まります。飯上げ(めしあげ/食事の受け取り・運搬)や水汲み、伝令、死体埋葬など壕外へ出る危険な任務も任され、教師2名・生徒9名が亡くなりました。

注目の展示「生徒の持ち物」

日本の優勢を信じ、またすぐに日常生活に戻って学校へ行けると考えていた彼女たちが持ち込んでいた、筆箱や万年筆などの学用品、身だしなみを整えるためのくしや鏡などの品々。

顔を洗うことすらできない日々が続く中で、手に取られることはほとんどなかったそうです。普段の生活になくてはならないものすらかえりみられない、動員中の生活がダイレクトに伝わってきます。

生徒の持ち物

第3展示室 解散命令と死の彷徨(ほうこう/さまよい歩くこと)

米軍の記録フィルム

1945年4月1日に沖縄本島へ上陸した米軍に追い詰められた日本軍は、6月18日にひめゆり学徒隊に突然の解散命令を言い渡します。

第3展示室では、砲弾の飛び交う戦場で行くあてもなくさまようしかなかった学徒たちの証言を、米軍の記録フィルムをはさみつつまとめた映像を上映(約60分)。米軍の記録フィルムはモノクロで爆撃の様子などが主です。時折亡くなった方の映像も流れますが、ショックを受けるようなものはかなり少ない印象でした。

※字幕がついているので問題なく鑑賞できますが、証言映像パートで少し音が聞き取りにくい部分があります。こちらはリニューアルで改善予定とのことです。

注目の展示「ひめゆり学徒の死亡時期」

3月23日の動員からひめゆり学徒の亡くなった日と人数をグラフで表したもの。動員された学徒、動員外の学徒別にも示されています。

解散命令が出された翌日である6月19日のひめゆり学徒の死者が40人以上と突出しているのと同時に、「日付不明」の死者が動員50名以上、動員外60名以上と多数を占めていることが目を引きます。

2020年6月23日に行われたひめゆりの塔の慰霊祭で、「どこで亡くなったかわかっている方はまだしも、どこでどうなったのかわからない方も多い。たったひとりで一滴の水も飲めず、何日も苦しんで亡くなったかもしれないと考えると、本当にいたたまれない」と語っていた前館長・島袋淑子(しまぶくろよしこ)さんの言葉がずっしりとした重みをもって思い返されました。

第4展示室 鎮魂

鎮魂の場

ひめゆり学徒と教師の鎮魂の場。壁には沖縄戦で亡くなった227名の遺影が並び、生存者たちの証言を読むことができます。台は低く大きな文字で漢字にはふりがながふってあり、お子さんでも自分で読めるよう工夫されています。英訳も併記されていました。

また、ひめゆりの塔のそばに今も残る伊原(いはら)第三外科壕の実物大の再現もあります。中へ入ることはできませんが、照明を抑えた展示室の中で内部を見ていると、実際に壕の中にいるように感じられるとてもリアルなものになっています。

第5展示室 回想

庭

来館者がこれまでの展示を回想し、備え付けの用紙に感じた思いを記せる空間。窓からは四季の花々が彩る庭が見渡せ、心和む雰囲気です。

第6展示室へと続く廊下の壁には寄せられた言葉が並び、全国各地から資料館を訪れた老若男女が感じた思いを共有することができます。

廊下

第6展示室 平和への広場

第6展示室

ひめゆり学徒たちが70歳を過ぎた2000年頃から取り組んできた「次世代プロジェクト」(証言映像の記録、展示リニューアル、後継者の育成)の一環として、2004年に増設された展示室。世代を超えて平和について語り合い、未来へ平和をつなぐ拠点にとの願いがこめられた空間です。

ポーランドのアウシュヴィッツ、オランダのアンネ・フランク・ハウスといった世代交代が進んだヨーロッパの平和博物館への訪問の様子、戦争体験を語る証言員としての活動も含め、資料館の仕事を戦争体験のない職員へ継承する過程が示されます。

RBC(琉球放送)がそうした取り組みを2017年に取材して制作したドキュメンタリー「ひめゆりからHIMEYURIへ」(46分)も上映。
※2020年6月現在の展示内容であり、変更になる可能性があります。

今年も開催予定の「“ひめゆり”を伝える映像コンテスト」

戦争体験継承のための新たな取り組みとして、2018年から開催されているコンテスト。

2019年のテーマは「ひめゆりと○○」(○○は私、いのち、平和など自由に選択)で、5分以内の映像作品を広く募集。ひめゆり映像賞(賞金10万円)、特別賞(賞金3万円)が選考され、ひめゆり平和祈念資料館YouTubeチャンネルで公開されています。

ひめゆり映像賞「おばあのいとこ」

特別賞「光の跡地」

2020年も開催予定ということです。詳細は、決定次第公式HPで告知されます。

持っていくべきものや気をつけたいこと

敷地内は鎮魂の場であることを念頭に行動しましょう。ご遺族や同窓生が、亡くなった方に会いに訪れていることもあります。

ひめゆりの塔には日差しを防ぐものはありません。日傘や帽子、日焼け止めなどで熱中症と紫外線に万全の対策を。また蚊などの虫もいますので、気になる方は虫よけスプレーなどもお持ちください。

通常は入口の献花販売店で献花販売(1束200円)が行われていますが、新型コロナウイルス感染症の影響で現在休業しています。周辺に生花店はないため、お花を手向けたい場合は事前に準備しておくことが必要です。

献花販売店

ひめゆり平和祈念資料館ではマスクの着用を。設置されている手指消毒用のスプレーも利用しましょう。入口で検温がありますので、37.5度以上の場合は入館を控えるようにしてください。

また、館内の撮影は禁止されています。展示内容はしっかりと目と心に焼きつけてくださいね。

ひめゆり平和祈念資料館リニューアルについて

ひめゆり平和祈念資料館は、2019年に開館30周年を迎えました。2021年4月には展示リニューアルが行われ、新たな姿を見せてくれるそうです。開館15年目の2004年、資料館は一度リニューアルを行っています。それは、証言員が展示室に立てなくなることを見越し、「体験者がいなくても伝わる展示」を目指したものでした。

リニューアルの目的

今回のリニューアルは、両親や祖父母にも戦争体験がなく、そうした話を聞いたことのない、「戦争からさらに遠くなった世代へ伝わる展示」を目指して行われます。彼らに関心をもって自ら学んでもらうにはどうすればいいのかという課題に向き合い、伝え方や展示にさらに工夫を加え、より良い方法に変えていくためです。

本来は2020年7月22日にリニューアルオープンの予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響により2021年4月12日に延期されました。

何が変わるの?

2020年5月31日発行の資料館だより65号掲載の情報から、リニューアルの内容をお伝えします。

  • 導入展示
    展示をひめゆり学徒の笑顔の集合写真で始める
  • 第1展示室
    県道から学校正門へ続いていた相思樹並木のイラストがトップに。
    生徒たちの表情が見える写真を増やし、戦前の生き生きとした学校生活、当時の教育、戦争にともなう変化をより身近に感じられるものへ。
  • 第2展示室
    陸軍病院壕の中の様子、学徒たちの仕事や持って行ったものをイラストで紹介するなど、戦場の様子をイメージしやすく工夫。
  • 第3展示室
    証言映像に新たに英語字幕を挿入。音声ガイドでは韓国語・中国語にも対応。
  • 第4展示室
    遺影の説明に英訳を付け、証言本には中国語(繁体字および簡体字)・韓国語も導入。
  • 第5展示室
    「ひめゆりの戦後」を新設。生き残った元ひめゆり学徒たちの抱えてきた悲しみ、苦しみなども伝えるとともに、資料館の設立や戦争を語り継ぐ活動の軌跡も紹介。

イラストや写真が増え、さらにイメージがしやすい展示になるようです。このほか、学芸課長の古賀徳子(こがのりこ)さんのお話によれば、子どもたちの実際の声から難しいと感じる言葉をやさしく言い換えたり、照明を工夫したりといったことも行われるようです。

  • 「友達を置き去りにしてしまった」
  • 「自分だけが生き残ってしまった」
  • 「亡くなってしまった友達に申し訳ない」

という後悔や罪悪感を抱えながら生きる「ひめゆりの戦後」は、戦争の恐ろしさと平和の大切さを、これまでとは少し違ったアプローチで強く実感させるものになるのではないかと感じます。

注意ポイント

リニューアルにともなう閉館期間:2021年3月22日~4月11日

施設情報

住所
〒901-0344 沖縄県糸満市伊原671-1

TEL
098-997-2100

ひめゆり平和祈念資料館公式HP 

開館時間

9:00~17:25(最終入館17:00)

休館日

なし

入館料
大人 高校生 小中学生
個人 310円 210円 110円
団体(20名以上) 280円 190円 100円

※2021年4月12日より以下に料金改定予定

大人 高校生 小中学生
個人 450円 250円 150円
団体(20名以上) 400円 200円 110円

 

アクセス

那覇空港から約30~40分

マップコード

232 338 063*55

駐車場

あり 無料

公共交通機関

空港からゆいレールに乗り、赤嶺駅(ホテルグランビュー沖縄側)で下車、89番に乗り、糸満バスターミナルへ(所要時間約30分)。
82番、107番、108番に乗り、ひめゆりの塔前バス停下車(所要時間約15分)。徒歩すぐ

ひめゆりと戦争をもっと深く知るための資料と関連書籍

戦争とはどんなものか、平和と命がどんなに大切かを語りかけ続けるひめゆりの塔と平和祈念資料館。ひめゆり学徒をもっと深く知るための資料や書籍と、あわせて足を運んでいただきたいスポットをご紹介します。

ひめゆり平和祈念資料館の資料や書籍

先にもお伝えした通り、ひめゆり平和祈念資料館の館内は写真撮影禁止となっています。この場所を訪れて感じたこと、考えたことをその場限りのものにせず、未来へ生かしていくためにも、ぜひ関連する資料や書籍を手に取っていただきたいと思います。

こちらでご紹介するのは、ひめゆり学徒隊や戦争の実像により深く触れることができる、選りすぐりの10冊の本。読めばさらに、沖縄や平和、戦争に対する意識が変化するものばかりです。ひめゆり平和祈念資料館で購入できる資料もありますので、お帰りの際に手に取ってみてくださいね。

ひめゆり平和祈念資料館による紹介はこちら:ひめゆりを学ぶこの10冊

ひめゆり平和祈念資料館 ガイドブック【証言・展示】

ひめゆり平和祈念資料館

著者:ひめゆり平和祈念資料館
発行:2005年
価格:1100円(ひめゆり平和記念資料館にて販売)

館内の展示を余すところなく1冊の本にまとめた資料。ひめゆり学徒の証言(戦争体験)や展示資料を詳細に紹介しており、現地に滞在できる時間が限られている場合も、こちらを購入すればすべての資料と証言にしっかりと目を通すことができます。

ポータブルなひめゆり平和祈念資料館ともいえる一冊で、いつでも、何度でも資料館の追体験を。次に訪れるときには、また違った視点から展示を見ることができるはずです。

ひめゆりの塔をめぐる人々の手記

著者:仲宗根政善
発行:1989年
出版:角川文庫

ひめゆり学徒の生存者と学徒隊引率教師だった仲宗根政善(なかそねせいぜん)さんの手記。ひめゆり学徒隊の記録として戦後初めて発行されたもので、映画「ひめゆりの塔」など後に生まれる様々な作品の参考に使われています。

ひめゆりの塔 学徒隊長の手記

著者:西平英夫
発行:1995年
出版社:雄山閣

ひめゆり学徒隊の総責任者である学徒隊長だった引率教師、西平英夫(にしひらひでお)さんによる記録。総責任者の立場から書かれていて、陸軍病院の組織としての動き、全体的な動きなども理解できる内容です。

墓碑銘

著者:ひめゆり同窓会
発行:2005年
価格:1500円(ひめゆり平和記念資料館にて販売)

沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒ひとりひとりの写真、生前の人柄やエピソード、戦時中や最期の様子、亡くなった日、亡くなった場所などをまとめたものです。

私のひめゆり戦記

著者:宮良ルリ
発行:1986年
出版社:ニライ社

著者は、伊原第三外科壕(ひめゆりの塔のそばにあり、ガス弾攻撃で多数の犠牲を出した)から生還したたった5名のひめゆり学徒のなかのひとり。戦争体験はもちろん、戦前の学園生活などについても知ることができます。

ひめゆりの沖縄戦

著者:伊波園子
発行:1982年
出版社:岩波ジュニア新書

当時18歳だったひめゆり学徒生存者が、動員され、陸軍病院で看護に従事し、米軍の銃乱射を受けて足に重傷を負い荒崎海岸で収容されるまでを記したもの。

ひめゆりの少女

著者:宮城喜久子
発行:1995年
出版社:高文研

第一高等女学校の4年生、16歳だった著者が第32軍司令部経理部に動員され、荒崎海岸で米軍に収容されるまでを、当時の日記からまとめたもの。学友7名と引率教師1名は、同じ海岸で手榴弾自決しています。

母と子で見るひめゆりの乙女たち

著者:朝日新聞東京本社企画部
発行:1983年
出版社:草土文化社

全国の主要都市で開催され、大きな反響を呼んだ「ひめゆりの乙女たち」展の内容をリメイク。ひめゆり学徒生存者の戦後についても触れられています。

※こちらは現在中古品のみ流通しています。

水筒(上巻・下巻)

著者:新里堅進
発行:1984年/1996年に上下巻に分冊して再刊
出版社:ほるぷ出版

ひめゆり学徒の体験を漫画化した初めての本。ストーリーには著者による脚色も加えられているそうです。

絵本 ひめゆり

著者:文 ひめゆり平和祈念資料館/絵 三田圭介
発行:2011年
出版社:沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団/フォレスト

戦争を体験したひめゆり学徒の生存者たちが、子どもたちにわかりやすく伝えるために制作した絵本。楽しい学校生活の様子から始まり、陸軍病院での看護活動、解散命令後に多くの友だちを失い、米軍に収容されるまでが描かれています。小学校中学年以上向け。

南風原(はえばる)の陸軍病院壕と南風原文化センターの展示

ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館で何度も目にする、南風原(はえばる)の陸軍病院壕の名前。

ひめゆり学徒たちが実際に看護に従事した壕のひとつ、20号壕は一般に公開されています。現在は新型コロナウイルス感染症の影響で再開の見通しは立っていませんが、ガイド付きで約20分、長さ約70mの壕の内部に入り、兵士が刻んだと思われる文字、埋められていた医薬品、焼け残ったベッドの杭木などを実際に見ることができるようになっています。

※問合せ、見学予約受付は後述の南風原文化センターにて

南風原陸軍病院壕

南風原陸軍病院壕

南風原町役場による紹介ページ

学徒たちが飯上げ(めしあげ/食事の受け取り・運搬)や水汲みに使っていた道も「飯あげの道」として整備されています。

飯あげの道

これをたどって20号壕の入口まで向かうこともできますが、途中うっそうと茂った森の中も進みます。

うっそうと茂った森

足元を整備した道も用意されていますが、滑りやすく、ハブをはじめとするヘビ、毛虫やクモ、蚊などの虫にも注意が必要です。帽子、長袖長ズボン、歩きやすく滑りにくい靴で、虫よけスプレーと水は必ずお持ちください。

足元を整備した道

また、「飯あげの道」の入口近くにある南風原町立南風原文化センターでは、考古学調査と生存者の証言にもとづいて再現した陸軍病院壕を見ることができます。

陸軍病院壕

日用品や陶製手榴弾(しゅりゅうだん)、防毒マスク、医薬品の展示

南風原町内の戦争遺跡から発掘された日用品や陶製手榴弾(しゅりゅうだん)、防毒マスク、医薬品なども展示。

日用品や陶製手榴弾(しゅりゅうだん)、防毒マスク、医薬品の展示

おにぎり

「ピンポン玉くらいのおにぎり」など、元ひめゆり学徒たちの証言していた状況が視覚で補完される感覚でした。ひめゆり平和祈念資料館とあわせ、ぜひ足を運んでいただきたい場所です。

南風原町立南風原文化センター

南風原町立南風原文化センター

住所 沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武257
TEL: 098-889-7399

開館時間
10:00~17 :00(通常は9:00~18:00。新型コロナウイルス感染症の影により短縮営業中)

休館日
水曜、12月29日~1月3日

入館料
町民無料

大人 中高生 小学生
町外個人 300円 200円 150円
町外団体(20名以上) 250円 150円 100円

駐車場
あり 無料

沖縄陸軍病院南風原壕群20号

南風原文化センターから5分ほど。※現在はコロナウイルス感染症の影響で休館。再開の場合ホームページで告知するとのことです。

開壕時間
9:00~12:00、13:00~17:00

休館日
水曜、年末年始

予約方法
3日前までに南風原文化センターへ。申込用紙に記入の上、メールまたはファックスで送信

Email: H8897399@town.haebaru.okinawa.jp

TEL: 098-889-7399/FAX: 098-889-0529

※20名未満の個人は氏名・日時・人数・電話番号要記載

南風原壕群20号壕の見学案内

入館料

大人 中高生 小学生
町内 200円 50円 50円
町内団体(20名以上) 150円 無料 無料
町外 300円 200円 100円
町外団体(20名以上) 250円 150円 50円

残念ながら現在は壕内部の見学は休止されていますが、壕に至るまでの「飯あげの道」、南風原文化センターの克明な再現展示で、ひめゆり学徒の見たもの、感じたものを追体験していただけたらと思います。

まとめ

最後までお読みいただき、ありがとうございます。ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館について、以下のような点をお伝えしました。

  • ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館は、次の世代へ戦争の恐ろしさと平和の大切さをどう伝えるかという課題に取り組み、工夫を続けてきた鎮魂と平和のための施設
  • 平和な学園生活からはじまる展示。ひめゆり学徒隊として動員された彼女たちの視点で戦争をとらえていて、沖縄戦を知るはじめの一歩として訪れるのにもおすすめ
  • 戦争から遠く離れてしまった世代へ「伝える」工夫をさらに凝らしたリニューアルオープンは2021年4月12日に予定。イラストや写真が増え、学徒たちの戦後の苦悩についても語られる
  • 館内展示を詳細にまとめた資料や、あわせて読んでおきたい関連書籍10冊の紹介
  • 学徒たちが実際に看護活動などに従事した南風原町(はえばるちょう)にある陸軍病院壕と南風原文化センターにある再現展示の概要

ひめゆり学徒隊、そして沖縄戦について、知っていただくきっかけになれば幸いです。

開館30周年を記念したリニューアルを控えたひめゆり平和祈念資料館。現在の展示を見られるのは、準備のための閉館前、2021年3月21日までとなります(リニューアルのための閉館期間は2021年3月22日~4月11日)。リニューアル前に一度、そしてリニューアル後にもう一度訪れて、展示がどう変化したかを検証してみるのもおすすめです。

寄付のお願い

ひめゆり平和祈念資料館は、ひめゆり同窓会を母体とする財団法人(現 公益財団法人ひめゆり平和祈念財団)が設立した民間の博物館です。

1989年の開館以来、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験を通して、戦争の悲惨さ、平和の尊さ、命の大切さを伝え、沖縄における平和学習の拠点として、多くの皆さまをお迎えしてまいりました。

公的な資金は受けておらず、入館料と皆さまからの御芳志に支えられております。沖縄戦やひめゆり学徒隊の体験を伝える活動をさらに充実させ、未来へつなげていくため、皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。

なお、当館への寄付金は、税制上、寄附金控除(所得控除)の適用を受けることができます

ひめゆり平和祈念財団公式サイトより

ひめゆり平和祈念資料館への寄付はこちらからお願いします >>申し込み

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きゅう

言葉、文化、自然、習慣、その他諸々にカルチャーショックと感動を経験しつつ沖縄に住むことかれこれ20年超。 すっかりなじんでいますが、一応九州産の移住者です。長く日常を過ごしているからこそ見える沖縄の素敵なもの、おもしろいものをご紹介していけたらと思っています。 大好物はおいしいもの、歴史を感じるもの、旅行、取材。必要に迫られ、大の苦手だった英会話を勉強中です。

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