琉球舞踊家・福島千枝さんインタビュー

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移住者

導かれるように沖縄へ 琉球舞踊家・福島千枝さん(大阪府出身)

やってみたいことや夢を叶えるための大切な最初の一歩、あなたはご存知ですか?それは、その夢ややってみたいことを実行し、成功させている先輩方の話を聞くこと。

「沖縄に住んでみたい」と思ったことはないでしょうか。何となく「沖縄で暮らすのもいいなあ」と思っているあなたにも、「〇年後には沖縄に移住する」と準備を進めているあなたにも、先輩たちの体験談はとても役立つものになるはずです。

We-love沖縄では、ご自身の夢や思いを実現しながら、沖縄という土地にしっかりと根を下ろして暮らしている沖縄県外出身の方々にインタビュー。そのリアルな言葉をお届けしていきたいと思っています。

記念すべき第1回のインタビューのゲストは、琉球舞踊の踊り手として活躍されている福島千枝(ふくしまちえ)さんです。

きゅう
きゅう
沖縄で生まれ育っていても険しいものであろう古典芸能の道。沖縄の芯ともいえる部分に深くかかわりながら暮らす福島さんに、沖縄へ移住する意外なきっかけや琉球舞踊との出会い、その魅力など、たくさんのお話を聞かせていただきました。

福島千枝さんの紹介

福島さん執心鐘入

2011年 沖縄県立芸術大学 琉球芸能専攻 琉球舞踊・組踊コース卒業
2014年 同大学院 舞台芸術専攻 琉球舞踊・組踊専修終了
2011年 琉球新報社 琉球古典芸能コンクール 舞踊部門 最高賞受賞

舞踊家として沖縄県内外はもちろん国外でも活躍。三線(2013年琉球新報社 琉球古典芸能コンクール最高賞)、太鼓(2018年沖縄タイムス社 伝統芸能選考会優秀賞)などでも研鑽を重ね、組踊や琉球舞踊、沖縄芝居、アーティストとのコラボレーションなど多彩な舞台で凛とした存在感を見せて注目されています。大阪府出身、沖縄在住15年。

大好きなアーティストの言葉に導かれ、沖縄へ

──どうして沖縄にいらしたんですか。

初めて沖縄に来たのは16歳のとき。Coccoさんの大ファンで、沖縄限定発売のビデオカセット&CD「風化風葬(ふうかふうそう)」を買うために、ひとりで来ました。通販もあったんですが、「沖縄を歩いて、島の空気を感じながら買ってほしい」というCoccoさんの言葉を聞いて、これは沖縄に行きなさいということだな、と。

那覇空港に降りた時に見た空があまりにも青くて、近くて、きれいで本当にびっくりしました。地元の空と違いすぎて・・・。

地図を見て、「これくらいなら大丈夫だろう」と、恩納村のユースホステルから本部町のカフェまで自転車(ママチャリ)で行ってしまったりもしました。

──自転車でですか?坂も多いし、とにかく遠いし、大変だったでしょう。

死にそうでした(笑)。名護で休憩して、がんばって何とか着いたんですが閉店時間。オーナーさんがせっかく遠くから来たんだからとコーヒーを出してくれて、うれしかったですね。帰りも遅くなってしまいました。ユースホステルのオーナーさんにもご心配をおかけして、実家の母は「誘拐されたんじゃないか」と半狂乱。若気の至りですね。

2週間ほど滞在するうちにすっかり「沖縄病」にかかってしまって、アルバイトをしてお金をためて、年に1回は沖縄へ行くようになりました。

 忘れられないできごと

あるとき、CoccoさんのHP経由で本部町の備瀬崎(びせざき)にあるペンションの紹介が目にとまったんです。「人工のものは見るたびに価値が減るが、うちの天然の海に勝るものはありません」というおじいちゃんの言葉にひかれて、「ここへ行こう」と。

那覇から路線バスを乗り継いで4~5時間、ペンションはすごくにぎやかでした。ちょうど台風が近づいていて、停電してだめになる前に冷蔵庫の食材を使い切るため、近所の方々が集まってみんなでごはんを食べていたんです。おなかがすいていた私は、すすめられるまま、ごちそうを勢いよく詰め込むように食べました。見かねて「ゆっくり食べなさい」とたしなめてくださったペンションのご主人、クマさんに、反抗期真っただ中だった私はけんかを売るような言葉を返してしまったんですね。そうしたら、クマさんは本気で叱ってくれたんです。

身内でもない子どもを叱るなんてめんどうだし、見て見ぬふりが普通ですよね。それなのに、本当にまっすぐに、正面からガツンと叱ってくださった。その姿に、ああ、私はどうしてここまで歪んでしまったんだろう、と感じたんです。部屋に戻るまでは我慢しようと思ったんですが、涙がわーっとこみあげてきて止まりませんでした。でも、目の前のごちそうは食べたい。泣きながら食べました。バツが悪くなったクマさんがきれいに切って持ってきてくれたマンゴーも平らげて、部屋に戻ってもまだ涙は止まらなかった。

どうしても海に行きたくなったんですが、クマさんと顔を合わせるのは気まずいので、仕方なく裏口から裸足で出かけました。フクギ並木は真っ暗でしたが、1本1本が優しく見守っていてくれているように感じて怖いとは思わなかったです。海に着いて、波の音を聞いて、しばらく足をつけていたら気持ちが落ち着きました。それで戻って、「さっきはすみませんでした」と謝ったんです。クマさんは「いいね!」と素敵な笑顔でこたえてくれて、そこからは家族のようなおつきあい。1年に1回は泊まりに行っていて、もう20年近くお世話になっていることになりますね。

 琉球舞踊との出会い

──琉球舞踊を始めたきっかけは何だったんでしょうか。

19歳くらいのとき、そのペンションに泊まりに来ていた方の紹介で、沖縄と大阪両方に道場を持っている先生とお知り合いになりました。そのときはごあいさつさせていただいただけだったんですが、ある日沖縄発の同じ飛行機に乗り合わせて、何と空港から家への道も同じ方向。せっかくだからと道場を見せてくださり、「こうなったら習いなさい」とおっしゃっていただいたんです。「大阪にいても大好きな沖縄を感じられるなら、いいかな」という軽い気持ちで習い始めたのが始まりでした。

─それで、はまってしまった。

はまりましたね。新人賞に合格(新人「賞」だが段審査のようなもので、定められた基準を満たせば合格となる)するために、半年間沖縄で猛特訓も受けました。9:00から14:00までスーパーの鮮魚部門でアルバイトをして、夕方まで稽古。いったん終わって、夜はまた稽古。本当にハードでした。

新人賞に無事合格したときに、「ああ、始まったんだな」と思いました。

──「終わった」ではなく、「始まった」ですか。

そうなんです。「ここで終わり」ではなくて、「始まった」と感じました。

その頃、たまたまユタ(沖縄や奄美のシャーマン)の方に言われた「前世は琉球王国のうみないび(お姫さま/王女)だね」という言葉に舞い上がって、「沖縄県立芸術大学に行く!」と決意しました。

──確かに始まりだったんですね。前世のお話も納得です。組踊の舞台を拝見していても、立ち居振る舞いに品を感じましたし。

いやいや、そんな(笑)。でも、琉球古典芸能の中でも組踊がとても好きでしっくりくるので、とてもうれしいです。

別の神高い(サーダカ―/霊性の高い人)方には、「千枝が琉球舞踊にたずさわっているのは前世からの約束」とも言われました。ご縁と流れでここまで来たようなもの。どうしてなのかちょっと不思議に感じることもありますが・・・。

フリーの立場で琉球舞踊の舞台に立つ

──琉球舞踊の踊り手でフリーランスというのはとても珍しいですよね。

異端児ですね。様々な事情があって悩み抜いた結果でした。人と人のつながりが強い沖縄だからこそ、いったんそこから外れてしまうととことん孤独です。舞台出演のお声かけもいただけなくなって、疎外感も味わった本当につらい時期でした。

──何か転機のようなものはありましたか。

それでも一緒の舞台に誘ってくださる方の存在や、お客さまから「よかったよ」と声をかけていただくことが大きな励みになりましたね。もがきながら一生懸命営業して、舞台に立つ機会をいただくようになると、お客さまから声をかけていただくことも増えて、これでよかったんだ、と思えるようになりました。代々手相を見る家系の友人は、私の手を見て「あなたはまっすぐ生きてきたのね」と言ってくれて、私の舞踊の写真からは必死の思いで舞台に立っているのを感じて涙してくれて・・・。まわりの方のおかげで這い上がって来れました。

──踊りでも歌でもお芝居でも、見ている側には、その人の熱量がちゃんと伝わりますよね。福島さんの真摯な気持ちが踊りやお芝居に表れていたんだと思います。

今ではありがたいことにたくさんのお声かけをいただいて、沖縄県内外でたくさんの舞台に立たせていただいています。

先日は、沖縄にルーツを持つ4人兄妹の音楽ユニットでアニメソングのヒット曲も手がけている「bless4(ブレスフォー)」さんの楽曲にコラボレーションして、ライブにも舞踊で参加させていただきました。構成や振付も担当させていただいたんです。本当に素晴らしくて、ご一緒させていただけるのが光栄で、涙が出ました。

bless4コラボ

※画像は提供

──動画を拝見しましたが、エネルギッシュでとても素敵なライブでした。福島さんがこうして様々な舞台に立つことが、後に続く方々を勇気づけることになると思います。

沖縄生活のあれこれ

──沖縄に来られて、戸惑ったことはありませんでしたか。

まずは言葉の壁ですね。大学の先生方が講義で使う言葉がわからないものだらけ。例えば「あまんかい、くまんかい(あっちへこっちへ)」とか。どういう意味か質問しても、「あまくま(あちこち)のことだよ」と返ってきたりする(笑)。授業の時にわからない言葉をメモしておいて、休憩中に先生に習うのが日課でした。あいうえお順にそれを書き留めたノート、まだ持っていますよ。

──食べものに関してはどうでしたか。個性の強い野菜も多いですが。

そこは大丈夫でしたね。沖縄料理はどれもおいしいです。へちまもゴーヤーも好きですし、お水も少し硬い(※地域差はあるが沖縄の水はマグネシウムやカルシウムを多く含む硬水であることが多い)ですが、すぐに慣れました。

──移動はどうされていましたか。

最初の1年はバスで。2年目からは車です。うるま市や金武(きん)町でのお稽古もあって、バスでは移動が厳しかったです。色々なところへ行くには、やはり車が便利ですね。

──沖縄の人の印象は。

共同体意識が強くて、団結力があって、とても仲間を大切にする方々だと感じます。シャイでちょっと打ち解けるまでに時間がかかるけれど、仲良くなったらもう家族みたいに接してくれますね。外から来た人間はその輪の中に入れてもらうまでが少し長くかかるかも。

──その輪に入るために、何か心がけていたことはあるんでしょうか

特に意識はしていなかったですね。でも、まずは自分のやるべきこと、できることをまじめにやって、その姿勢を見てもらうことが大事だと思っていました。そして、わからなければ謙虚に教えを乞うこと。そうすればちゃんとこたえてもらえます。それを素直に自分の中に取り入れて、未熟なりに学んでいくしかないと考えていました。そうすれば、自然に輪の中に迎え入れてもらえる日が来ると思います。

まとめ

沖縄の文化に深く関わる琉球舞踊の踊り手、福島さんのお話。いかがだったでしょうか。

誰かの言葉をきちんと受け止める。

やるべきこと、できることに一生懸命に取り組む。

心の声に従い行動する。

教えを乞い、謙虚に学ぶ。

簡単なようでいて実はとても難しい大切なことを、あたりまえのように実践されている姿がとても印象的でした。

福島さんを沖縄へ、琉球舞踊へ導いた「ご縁」と「流れ」。それは福島さんのこういった日々の行いから生まれたもののように感じます。

今、自分にできることは何だろう。自分の心が本当に望むものは何だろう。

その問いかけの先に沖縄での生活があるのなら、あなたにも必ず「ご縁」と「流れ」が訪れるはずです。

福島さん

福島さんが組踊「執心鐘入」中城若松役で出演された舞台「北の魂、南の魂~神楽と組踊~」の詳細はこちら

東北と沖縄の伝統芸能の共演「北の魂、南の魂・神楽と組踊」

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おまけのお話。もっと深く沖縄を知りたいあなたへ

ここから先は、エキストラのパート。

もう少し深く沖縄伝統芸能の世界に触れたいあなた、沖縄に暮らす方の首里城への思いを知りたいあなたに読んでいただきたく、福島さんに思いを語っていただきました。

 舞台「北の魂、南の魂~神楽と組踊~」に関して

──「執心鐘入」に中城若松役で出演された舞台「北の魂、南の魂~神楽と組踊~」、拝見させていただきました。大学の修士演奏(卒業試験)では宿の女を演じられたんですよね。

とても特別な思いのある演目です。中城若松は私にとって憧れの役。初めて演じさせていただくのがこんな素敵な舞台で、本当に光栄でした。

女性が演じる機会が少なく、実力のある先輩がたくさんいる中選んでいただいた感謝を込めて、精いっぱいの力をつぎ込みました。まだ数年のキャリアしかなく、所作も舞踊も弱かった大学1年生の頃から「いつかは私も」とお稽古を重ねていた役。それを演じられるところまでたどり着けたんだ、と感慨深くもあります。

──岩手県花巻市の伝統芸能、上根子神楽(かみねこかぐら)との共演でしたが、いかがでしたか。

上根子神楽からは大きな刺激を受けましたね。ばたばたで、舞い手の方々との交流も一瞬のできごとのようでしたが、とても充実した舞台でした。

ある舞い手さんが「演技ではなく現実だと思って舞台に立っている」と話してくださったんですが、神楽は舞台によって、人によって動きが変わるんです。同じものは二度と見られないライブのようなものですね。

組踊は型のある古典。型は指針であると同時に制約にもなります。でも、沖縄の古典芸能には型に少し幅があるんです。「あそび」があるというか、演出家や踊り手の色をのせる部分が残されているんですね。もちろん所作や舞踊といった土台がしっかりできた上での話ですが、それをどう生かすかで印象が大きく変わります。同じ演目でも、踊り手によって少しずつ違いを出せるのはとても大きな特徴で、魅力だと思っています。

──ふたつの伝統芸能を見比べられる貴重な舞台で、とても興味深かったです。次は岩手で開催を、というお話も出ていましたね。

ぜひ岩手でもやりたいですね。本場の冷麺も食べたいです(笑)。
琉球舞踊は裏方や事務、制作に関する人手が足りていなくて、実演家がそちらも兼任しなくてはならない場合が多いんです。そういう状況では企画などを行う余力もない。「北の魂、南の魂~神楽と組踊~」は、制作のステージサポート沖縄さんあってこその舞台でした。制作や広報をになうプロフェッショナルな人材がもっと育っていけば、色々とおもしろい舞台も増えていくのではないかな、と思います。

沖縄だけでなく日本本土でも、さらに世界中の方にも見ていただけるようになったらうれしいですね。

首里城火災に関して

首里城

──大学を卒業されてからの3年間、首里城にお勤めだったとうかがいました。首里城の火災には大きなショックを受けられたと思いますが、お気持ちを聞かせてください。

前日疲れすぎて早く寝たためか、10月31日は4時頃に目が覚めました。何の気なしにSNSを見ていたら「首里城が燃えている」と。そんな、と思って調べたら本当に火災が起きていた。自分の目で確かめずにはいられなくて、龍潭通りまで車を走らせたんです。着いてみたら報道陣や近所の方々でもういっぱい。正殿はすでに焼け落ちて跡形もなく、北殿が燃えていました。「ちるだいする(失望する/落胆する/がっかりする)」というか、「まぶい(魂)が抜けてしまった」というか、何ともいえない喪失感に襲われ、その夜は涙が止まりませんでした。

かつて、「首里城がよみがえらないと沖縄はよみがえらない」と再建に乗り出した先生方。たくさんの努力を重ねてようやく完成したものが一晩でなくなってしまったけれど、先生方のご尽力のおかげで、復元のための資料はすべて揃い、道筋もつけられています。火災によって失ったものはとても大きいですが、色々な問題が明らかになったり、見えていなかったものがひらいたりということが起きているようにも感じます。

──沖縄にとって首里城の存在がどれだけ大きなものであったか、いかに沖縄を象徴するものであったか再認識するできごとでもありましたね。

首里城の正殿区域は多いときには1日に1万人近い方が訪れる場所です。その正殿が人っ子ひとり殺さず自分だけで焼け落ちたんです。何と高潔なんだろう、とこみあげるものがあります。神様の力とか、私たちへのメッセージなのかな、とも考えてしまいました。原因とか、誰が悪いとかいうことではなく、首里城が燃えた意味を皆で考えることが大切なのかな、と感じています。

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言葉、文化、自然、習慣、その他諸々にカルチャーショックと感動を経験しつつ沖縄に住むことかれこれ20年超。 すっかりなじんでいますが、一応九州産の移住者です。長く日常を過ごしているからこそ見える沖縄の素敵なもの、おもしろいものをご紹介していけたらと思っています。 大好物はおいしいもの、歴史を感じるもの、旅行、取材。必要に迫られ、大の苦手だった英会話を勉強中です。

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