今から15年くらい前の話にさかのぼります…

今よりも勢い余っていたあの頃、沖縄のガジュマルを求めて時間があれば通っていました。久米島ではハブよけ(今考え直せば、無謀な行動)をしながら…西表島では小さな船に乗せていただき、今にもカメラが水浸しになりそうな中…伊計島では蚊の大群に襲撃されボコボコにされながら…そして、気がついたら53歳になってました。

沖縄本島だけでなく離島も含めて、1000本以上のガジュマルと向かい合い、写真を撮らせていただきました。その写真集「がじゅまる」がこちらです。

そんなわけで、これからキジムナーの話も含めがじゅまるを紹介していきます。

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沖縄戦では…

沖縄のイメージを考えた時、青い海、青い空、・・・だと思います。晴らしい自然が与えてくれた景色だと思います。しかし、もうひとつ忘れていけないと思っていることが、日本の中で唯一地上戦が行われた場所ということです。

当時のことを思い、青い空、青い海だけではない沖縄。私が沖縄でガジュマルを通して一番教えていただいたことは、沖縄の歴史がもつ本質の色合いはモノクロームではないかと思っています。

その時代から現代までをずっと見続けてきているがじゅまるの姿から、何か感じていただければ写真家として嬉しいです。

売店ガジュマル

baiten-gajyumaru

今回ご紹介するこのガジュマルは、第二次世界大戦の時代の前から存在しています。

島尻郡八重瀬町にあるこのガジュマル、私は「売店ガジュマル」と名付けさせていただきました。あくまで勝手につけている名前なので、もしご近所、もしくはこのガジュマルの関係者さんが正式な名前など知っておりましたら、当サイトまでご連絡いただけますでしょうか?

名前の通りこのガジュマルの樹は売店の敷地内にあり、売店のシンボルのようなガジュマルです。撮影後に近所の方に聞いたところ、撮影当時(2008年)からすでにお店はやっておらず、写真のような少し寂しい感じです。

不思議とこのガジュマルは見ていると親しみが強く感じられる樹の一本です。

なぜだろう?

近所の方から聞いた話によりますと、小学校から帰る途中により道して売店で買い食いしたり…(だいたい、売店はおばぁ(おばあさん)がやっているところが多かったです。)

もしくは、家に一度戻り、自転車に乗って慌てるような勢いで、この売店で友達と集合し、このがじゅまるの樹に、またはブロック塀に、自転車はよりかけたまま…(なぜか子供たちはきちんとスタンドを使わない。)

売店の中ではチョロイ子供もいたりして…おばぁの目を盗んでは、くじをごまかしたり…

今思い返せば多分、おばぁはある程度分かっていたと思います。そしておばぁ同様全てお見通しだったのがこのガジュマルの樹だったんでしょうね。

子供たちはお金を使い果たすと今度はこのガジュマルの樹に登り、暗くなるまで遊んでいたと思います。

ちなみにガジュマルの樹はゴツゴツしていてとても登りやすい樹です。また植物はその場所によく馴染むとも言われていますが、特にこのガジュマルは子供達に遊そばせる(登ってもらう)ためにフォルムを形成して今の形になっているような気がします。

見ているだけでで登りたくなりますし、樹の方から「登って!」と言っている様な気もします。ガジュマルの樹にはゴツゴツとしたフォルムとは別に子供たちを包み込んでくれる優しさがあります。

沖縄出身でなくとも私の年齢くらいの方は木登りや売店のこの様な思い出があるのではないでしょうか?

懐かしさはそんなところからきているのかもしれません。何十人、何百人、何千人もの子供たちが登ってきたであろうこのガジュマル。そんなこのガジュマルの樹ですが夜になり、暗くなり人が寝静まった頃に今度は子供達と同様にキジムナーが遊んでいるとか、いないとか言われてます。

キジムナーのことは次回以降でお伝えしますがそんなイメージを膨らませながらこの写真の見ていただければと思います。

おわりに…

首里から平和祈念公園へ行く途中、東風平あたりにこのガジュマルの樹はあります。その辺りを通った時は気にしてみてください。

沖縄の方言で夕方から暗くなり始める刻をアコークロー(紅逢黒逢)と言います。(最近ではあまりつかわれていないそうですが)夕陽の紅から真っ暗の闇の黒から来ているようです。ちなみに私はアコークロー(紅逢黒逢)という言葉の響きが大好きです。

ですが、この写真は、夏の暑いごくごく普通の日の正午頃の時間帯にあえて撮影しました。右端のシーサーがかなり年代物でガジュマルと合わせてご覧ください。

※ このガジュマルは民家にあるため住所などの詳しい情報は記載を控えさせていただきました。