戦後の沖縄。

僕は戦後生まれですが、アメリカ統治時代や沖縄返還を経験しました。当時の記憶をたどって、懐かしい思い出話をしましょうね~。

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紙芝居

当時の遊びと言えば、近所の広場やタクシー会社の空き地に現れる紙芝居おじさん

繁多川のすーじーぐゎ(筋道)を通り抜け、道端で紙芝居を見る。おじさんはいつも棒付きキャンディーを配ってくれて、キャンディー目当てなのか?紙芝居目当てなのか?自転車のおじさんを見つけるたび追いかけていました。

5歳まで米ドル

近所の駄菓子屋へ行くときは米ドルを持って行きました。ドルというより1セントコインをジャラジャラポケットに入れて買い物をしました。

記憶の中では、銀色のコイン1枚、銅色のコイン3枚持っていたと思います。チューチュー(凍らすとアイスになるジュース)1セント、糸引き飴(クジのように箱から引き出す飴)1セント、ラムネやお菓子など、1~5セントくらいで買えるお菓子を買っていました。

アメリカーのプラモデルが5ドルで販売されており、買いたくても買えない高級品を指をくわえて見ていました。

軍払い下げ

伊江島のオジィの家で

ひーじゃー(ヤギ)の儀式

祭りか?何かの祝いか?覚えていませんが、ひーじゃー(ヤギ)を潰すことになり、男は見ないといけない!と言われ、見に行くと両手両足を縛られ吊るされたひーじゃーが丸焼きになっているのを見てしまいました。

おばさんが、にわとり?はと?鳥の羽をむしり取っているところも見ました。その光景を強烈に覚えています。

想像して気分が悪くなってしまった方、申し訳ありません。

城山(たっちゅー)の言い伝え

伊江島と言えばシンボルの城山(ぐすくやま)通称たっちゅー。

城山に登るとき、途中から帰ったら「指を切られる」という言い伝えがある、とオジィに言われ、一生懸命になって頂上まで登りました。

大人になってから知ったことですが、指を切られるというのは子供が途中であきらめないようにするための大人の嘘だったそうです。(笑)

たっちゅーの詳しい記事はこちら
沖縄【魅惑のスポット】伊江島・城山(ぐすくやま)に登って見た!

730(ななさんまる)

730日。交通ルールが日本式になった日です。

交差点の電柱に貼り紙がしてあったり、新聞の広告、テレビCM、ニュース、ラジオなど、とにかくしつこく告知されていました。当日の朝、父親が出勤している途中、午前7時頃さっそく接触事故があったらしく、帰ってくるなり事故の話をしていたことを覚えています。

730以降もかなり長い間、テレビで「道路は左側を走りましょう」と放送されていました。

730

フィンガー5

フィンガー5(ファイブ)通称フィンガーわらばー(童子)。

ねーねー達が近所の子供たちと5人グループになって、フィンガー5ごっこをしていました。この時代の沖縄では大人気のスーパースターでした。おばさんのサングラスをこっそり借りて、新聞紙で作ったマイク片手に繁多川フィンガー5を結成していました。

沖縄海洋博覧会

沖縄国際海洋博覧会(おきなわこくさいかいようはくらんかい)は、沖縄県の本土復帰記念事業として沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期(1975年7月20日 – 1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会(特別博)。アクアポリス は、沖縄国際海洋博覧会で日本政府が出展した「半潜水型浮遊式海洋構造物」である。世界初の海上実験都市として、また未来の海上都市をイメージして建造された構造物で、海洋博のシンボルとしてメイン会場ともなった。プロデューサーは手塚治虫。設計は、菊竹清訓建築設計事務所、日本海洋開発産業協会。半潜水型浮遊式という構造をなすことから「世界でも例を見ない」施設として当時注目されていた。

wikipediaより

父親が拓南製鉄で働いていたこともあり、海洋博の隣の「海の家」というホテルに社員割引で泊まることができました。

家族と学校の友達10名くらい誘って、みんなで遊びに行きました。ホテルの目の前が海と観覧車。ジェットコースターも回転木馬もありました。伊江島の見える真っ白なレストランで食事したり、アクアポリスで遊んだり、水中水族館みたいなところもありました。

年齢制限だったか?身長制限だったか?ジェットコースターに乗れなかったことが今でも悔やまれます。

遊園地 アクアポリス写真:ダイナミックに旅する人の沖縄(昭和58年発行)

まとめ

こんな記事を書いたら年齢がバレそうですが・・・僕、意外と貴重な体験してきました。アメリカ時代と返還後の沖縄。

父親が賃金1日1ドル(当時のレートで¥360)の時代に駄菓子を買いに行ったり、5ドルのプラモデルが欲しい!と言ったり、ローラースルーゴーゴーを買ってもらったり。

何にも分からないから我がまま言いたい放題でした。

僕が子供だったあの頃、大人はどんなに苦労をしたのだろうと思うと父親に頭があがりません。

たくさんの楽しい思い出を作ってくれた両親に感謝しています。今の時代も不平不満は言い出せば切りがありませんが、それ以上に苦渋苦難を乗り越えてきた沖縄の先人たちを僕は尊敬しています。